イイオンナになるために、日々修行中


by kaokaolululu
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着物が秘める日本の美

久しぶりのキモオデを楽しんだ翌日(2月19日土曜日)。
新聞の第2朝刊に、こんな記事が・・・。
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京都 大原 三千院・・・ではじまる「女ひとり」という曲。
よく知られているとは思いますが、
わたしはこのはじめの箇所しか知りませんでした。

女ひとり 作詞:永六輔 作曲:いずみたく

京都 大原 三千院
恋に疲れた 女がひとり
勇気に塩瀬の 素描(すがき)の帯が
池の水面にゆれていた
京都 大原 三千院
恋に疲れた 女がひとり

京都 栂尾 高山寺
恋に疲れた 女がひとり
大島紬に つづれの帯が
影を落とした 石だたみ
京都 栂尾 高山寺
恋に疲れた 女がひとり

京都 嵐山(らんざん) 大覚寺
恋に疲れた 女がひとり
塩沢がすりに 名古屋帯
耳を澄ませば 滝の音
京都 嵐山 大覚寺
恋に疲れた 女がひとり


奇しくも「結城紬に塩瀬の帯」で京都におでかけした次の日。
この写真の女性のように素敵ではなかったけど、
この記事、「そうそう!」って思うところがたくさん。

こんな風に着こなしたい。
そう、恋に疲れても(笑)
襟を正して
凛として・・・。







記事にはこのように

 京都市の友禅美術館「古代友禅苑」に入った瞬間、眼前の着物に目を見張った。
薄い絹布の背面全体が鮮やかな朱、赤、えんじ色をした数千枚もの紅葉の絵で埋まる。
葉の間から金色のお堂が浮かぶ。息をのむ美しさだ。題は「紅葉の三千院」とあった。
 着物は動く絵画だ。お太鼓結びを見て「日本の女性は絵画を背負う」と言った外国人
がいるが、帯だけではない。全身に絵をまとう。和装のすべてが芸術である。
 華やかな友禅染や、あでやかな西陣織は、いかにも京都にふさわしい。だが、京都が
舞台の「女ひとり」に歌われるのは結城紬(茨城県)、大島紬(鹿児島県)、塩沢絣(新潟県)
と、他県で織られる布地だ。なぜだろう。
 作詞した永六輔さんは、「フォークソングの登場で時代が変わった。もう作詞をやめようと
思い、最後に作ったのが『にほんのうた』シリーズです」と話す。「女ひとり」は各県の特徴を
織り込んだシリーズの京都編だった。
 (中略)
 祖母が着物に詳しく日常会話に着物がよく出たため永さんは産地の見分けがついた。
「でも、歌詞は自分の好きな着物を並べただけで、いい加減なんです」と笑う。
 その言葉が照れで、深い美意識に裏打ちされているとわかったのは、着物の研究家でもある
田中優子法政大教授に会ってからだ。
 田中教授は「歌われた着物は、取り合わせがとても洒落ている。藍染めの結城は軽い感じで
しっかりした羽二重の塩瀬が合う。帯の地色は白で季節は春先。大島は泥染めで、つづれ織の
帯ともども重厚さがあり晩秋のにおいがする。帯はペルシャ模様が浮かぶ。
塩沢は生糸で織った本塩沢で薄手でシャリ感があるから夏ですね。」と
名探偵のように解き明かした。
 紬も絣も手織りで独特の温かみがあり、今では高級品だがもとは普段着だったという点が
共通する。帯の方は、塩瀬は最も一般的な生地だ。名古屋は短い仕立て方を指し、
普段着やおしゃれ着に締める気軽な帯だ。田中教授は「歌われたのは、30歳前後で
経済的に自立し、日常に着物を着る女性。恋に疲れた女性が急に華やかな着物を着るわけが
ない」と明快だ。
 歌うデュークエイセスの谷道夫さんは、「この歌は難しい。鼻歌では歌えない、とメンバーが
言う」と語る。「心がすさむ今の日本で、色あせない日本人の心がよみがえってくる歌です」とも。
 (中略)
 冬の三千院。境内には雪が積もる。1月末、京都育ちだが三千院は初めてという女性を誘った。
「結城に塩瀬の素描の帯」で山門をくぐったのは上村絵里加さん。結城紬の若きデザイナーだ。
 上村絵里加さんは京都市立芸術大学を卒業後、茨城県結城市の結城紬問屋奥順に就職。
同社が大学出を採用した1期生だ。京都市内の仕事場でパソコンを使い制作した文様を、
インターネットで本社に送る。
 着物の世界に飛び込んだのは「日本人として世界に誇れるものの仕事をしたい。結城は今も
手で糸をつむぎ機で手織りする。この技術を伝えるすばらしさを日本にも世界にも
知ってもらいたいと思った」からだ。
 「女ひとり」」の歌は、出だししか知らない。「結城紬は軽くて暖かくふんわりと身体を包み込む。
恋に疲れた女性はその暖かさに心癒されたいと思ったのかも」と想像した。
 結城紬の本場を訪ねよう。結城市の中心部には格子戸や蔵が並ぶ。時間がとまったような
落ち着いた町並みだ。1907年創業の奥順の広い敷地には店舗や土蔵が立ち、門には
「つむぎの館」の看板がかかる。蔵の一つは資料館だ。
 結城紬には二千年の歴史があるという。奈良時代には常陸の国の特産物として朝廷に納め
られた。室町時代に結城家から幕府に献上され結城紬の名がついた。56年に国の重要無形
文化財に指定され、昨年はユネスコの無形文化遺産に登録された。
 奥順の奥澤武治専務は「結城紬は世界最高の絹織物だという自負がある。使い捨ての文化と
違い、日本古来の手作りの着物は使えば使うほどに良さが出る」と語る。
 同社では、小柳阿佐子さんが機を織っていた。九州大学で物理を学び大手電気メーカーで
コンピューターを扱った後、40歳で転職した。
 「紬は千年もつか電気製品は持たない。機織りには物づくりの原点がある。後世に残るものを
作りたい」
 とはいえ、原料や道具の確保は難しい。着物人口も減った。結城紬の織職人は現在約500人
いるが、仕事があるのは200人だけ。京都も同じで、20年前に3万人いた手描友禅の職人は
今300人だ。染めの職人も当時の1%に減り、いまや日本の着物文化は風前の灯火だという。
 それでも職人は伝統を絶やすまいと奮闘する。冒頭の「紅葉の三千院」の作者は京友禅の
伝統工芸士高田啓志さんだ。18歳でこの道に入った。「いつまでたっても壁があります。
苦しいから楽しい。」嵐山のふもとの友禅工房「久利匠」で帯に筆で草模様を描いていた
湯浅静郷さんは「布がキャンパス。倒れるまで描きます」と話した。
 着物は奥が深い。「布のちから」を著した田中優子教授は「季節により重ね着したのが日本の
着物の特徴。下着が上着化し、染めたり模様をつけたりする発想が生まれた。着物に風景を
描くのは日本が成し遂げた独自の文化」と強調する。
 講演の際、田中教授は必ず着物を着る。「落ち着き、自分らしくいられる」からだ。
「技術はいったんなくなると継承できなくなる。着物文化を残すには着るしかない」と説く。
(中略)
 「女ひとり」という言葉には、怨念も執念も、自立する石も込められている。
改めて歌詞を見ると、恋に疲れても襟を正して自らの力で新たな人生を生きようとする、
凛とした女性の姿が浮かんだ。鼻歌で歌えない理由がわかるような気がした。
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by kaokaolululu | 2011-02-27 17:01 | ひとりごと